ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

パーヴェル・ネルセシアンのレッスン

 リサイタルが終わって瞬く間に一週間たってしまいました。この一週間はとにかくレッスンに集中して、一日も早く日常のレッスンに気持ちが戻ることを考えていましたので、もうあれは遠い昔のことかと思えるほどです。
 
 前回の札幌でのリサイタルから今回まで4年たっていたのですが、自分のピアノ人生の中でもっとも密度の濃い4年だったと思います。
 モスクワ音楽院ボストン大学の教授をつとめるピアニスト、パーヴェル・ネルセシアンのレッスンを受けるようになって今年で7年目になります。この間毎年彼のレッスンを受けてきました。毎回毎回が「ピアノを演奏するということはここまで考えなければならないのか」と思えるほど厳しく、新しく目を開かせられるものでした。

 前回の札幌のリサイタルのときは、後半2台ピアノでプロコフィエフの「シンデレラ」を一緒に演奏しました。そのときは彼の音楽に乗って行けることがただただ幸せでした。(今思えば、彼はさぞかし大変だったのではないかと思います)
 しかし終わった後の私は、頂点の幸せを味わった者が終わった後に味わう空虚感と落ち込みから抜け出せませんでした。何よりも、一緒の舞台に立って彼の凄さを感じたことで「自分のような者がこの先演奏活動を続ける意味はあるのか?」と思ってしまいましたし、彼の言うことで自分ができないことはあまりにもたくさんあって、それが積み重なっていくことで私の中に深刻な迷いが生まれていました。

 自分がレッスンを受け続けていてよいのだろうか…もっと若くて才能のあるピアニストが多忙な彼の限られた時間を使うべきではないのか…

 そんな思いが頂点に達していた2015年3月の右手の怪我でした。

 少なくとも数か月は右手は使えないと分かったときはもう頭が真っ白で、ただただ休みたい、休んで少し考えようと思って、その年はレッスンに行けないと彼にメールを書いたのですが…

 返ってきた返信は「左手の曲を練習しなさい。出口はそれ一つしかない」
 ピアノどころか日常生活にも不自由していた私はそれで迷いが吹っ切れて、翌日からラヴェルの「左手のための協奏曲」をさらい始めました。今思えば、溺れる者はわらをもつかむように私は彼のその一言にすがったのでしょう。
 その年の夏、レッスンに行った私に、彼は猛烈な勢いでラヴェルの協奏曲をたたき込みました。

 今回のリサイタルは、この出来事なしには成立しえなかったと今になって思います。この出来事の前と後で、私の中で自分の音を聴く耳が決定的に変わりました。こんなに内声の隅々まで気を配った勉強は今までしたことがありませんでした。いささか遅すぎるのかも知れないけど、この年になって変われたのは幸せなことだと心の底から思うのです。

 今年はさらにハードルが上げられることと思います。それに何とかついて行けるように今後も緻密な勉強を積み重ねていきたいと思っています。