ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

左手の協奏曲

 今年の発表会の第3部は、ラヴェル「左手のための協奏曲」です。今年はピアノを2台使って協奏曲を弾く人が何人かいるのですが、折角2台使えるので私も何か協奏曲を弾きたいと思いました。
 いつも第3部は20分くらいの枠で、クラシックにあまりなじみのない人や子供たちにもわかるように曲についてお話を入れて構成していました。
 この2年、自分のテクニックの再生をかけて取り組んできたこの曲を発表会で弾いてみようと決めたのは、昨年の発表会がきっかけでした。
 プログラムの最後にスクリャービンの「左手のためのノクターン」を弾いたのですが、予想していたよりもはるかに反響が大きかったのです。
 「左手の曲ってあるんですね」
 「左手だけであんなに表現ができるんですね」と驚く人もたくさんいました。その後このブログでいろいろ書いていたのもきっかけになって、リクエストを頂きました。
 
 一昨年3月、右手薬指の靭帯を怪我して半年間舞台に上がれない日々を送りました。発表会の第3部も直前にキャンセルすることになってしまいました。あのときの不安と閉塞感は今思い出しても非常に辛いものなのですが、そのときにこの4年間レッスンを受けていたパーヴェル・ネルセシアンに、
 「左手の曲を勉強しなさい。出口はそれしかない」
と言われて、左手の曲を探し始めました。
 結局彼の圧倒的なYouTubeの動画があるこの協奏曲を聴いて、この曲に取り組んでみようと決めたのです。
 整形外科医である私の父も、手の靭帯の治療は非常にデリケートで難しいものだと言っていました。タオルも絞れず、箸もきちんと持てませんでした。再び右手が元通り動くかどうかわからなかったこの頃、私は何かにすがるようにひたすらこの曲をさらっていました。そして自分の左手がいかに不器用でないがしろにされていたかを思い知ることになったのです。
 その年の夏、パーヴェルはこの曲をていねいにみてくれました。このとき彼といろいろ話して、私の中でもう一度両手で舞台に立ちたいという思いが大きく膨らみました。
 昨年ボストンに彼のレッスンを受けに行ったときもこの曲を持って行きました。そのとき「セルゲイ・ドレンスキー85才記念コンサート」(2016年12月3日)で彼がこの曲を弾くことを聞いて、徹夜で夢中になってロシアのラジオの生中継を聴きました。
 そのときの動画がこちらです。(ネルセシアンの演奏は1時間49分くらいから)

 この協奏曲は第1次世界大戦で右手を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタインのために書かれたものです。
 ヴィットゲンシュタインがこの曲を弾いている動画がこちらです。
 右の袖はブラブラしているので、右手は多分切断したのでしょう。私は幸いにも右手が元通りに弾けるようになったけれど、ピアニストでありながら永遠に右手を奪われたヴィットゲンシュタインはどんな気持ちでこの曲を弾いているのだろうと思うと胸が痛くなります。何か苦悩を乗り越えて悟りをひらいたような感じさえもします。

 私も、怪我をしていなかったら多分この曲に取り組むことはなかったと思います。この曲によって私の左手は前よりもものを言うようになり、ピアノのテクニックで新しい世界が開けました。怪我をしたことはもちろん不幸なことだったのだけど、この年になっても変われると実感したことは幸せなことだとしみじみ思いました。
 同じ国立音楽大学の大学院で学んだ優秀な後輩がオーケストラパートを弾いてくれることになりました。
 出演者の皆さんの最後の仕上げをしながら、私も頑張ります。