ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

パーヴェル・ネルセシアン ピアノリサイタル(8月12日、カワイ表参道パウゼ)

 毎年夏恒例となったカワイの「ロシアンピアノスクールin東京」の講師演奏として開催されたパーヴェル・ネルセシアンのリサイタルに行って来ました。
 今年の彼の日本での演奏予定はこの1回だけということもあってか、チケットは早々と売り切れ、会場は熱気に溢れていました。私は最初チケットを取り損ねてしまい、今年は諦めていたのですが、その後幸運にもチケットが手に入り、聴くことができました。
 初めに先日亡くなったピアニスト、中村紘子さんの追悼演奏(ショパンノクターン遺作、嬰ハ短調)がありました。その後、ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」、「喜びの島」、ショパンの「バラード第3番」、「マズルカ 作品17、24、68-4」、「ポロネーズ 作品44」が演奏されました。

 私は彼のレッスンを受けるようになった4年前から毎年彼のコンサートを聴き、そのたゆみない進化を感じ取ってきましたが、今回一番感じたことはピアノのテクニックを超えた表現の凄さだっただろうと思います。
「月の光」(ベルガマスク組曲の3曲目)では本当に会場が青白い月の光に照らされている感じになり、舞曲(ベルガマスク組曲の2曲目のメヌエット、4曲目のパスピエショパンマズルカポロネーズ)では本当に踊りを見ている感じがするのです。特にマズルカのリズムのしなやかさが絶品でした。
 私が彼のレッスンを受けるとき、彼はよく私が弾いているときにその曲のイメージを散文詩のようにロシア語で語ることがあります。(自分が弾いているときにロシア語を聴きとるのは大変だったのですが、最近ようやく慣れてきました)それはオペラやバレエの一場面のときもあるし、そのとき彼の頭の中に浮かんだもののときもあります。私はそれを聞いて、いつも曲のイメージを一杯にふくらませることができるのです。
 ふくらませたイメージをどう音に表していくかはいつも厳しく言われるところなのですが、この日の演奏はまさに自由自在…豊富な音色を使い分けて曲を表現していくには高度なテクニックが必要ですが、そのテクニックを全く感じさせないものがそこにあるのです。

 アンコールはチャイコフスキーの「舟歌」、この曲も何度も聴いていますが、聴くたびに表情が違います。また、一昨年私がリサイタルを開いたときにレッスンも受けました。曲についている詩(チャイコフスキーの「四季」は一曲ずつその曲が作られるもとになった詩があります)を夢中で覚え、何とかついて行こうと必死だったのを思い出しました。

 翌13日、彼の公開レッスンを聴き、14日にはもう一人の講師、アンドレイ・ピーサレフのリサイタルを聴いた後、まっすぐ羽田に向かい、深夜便で帰ってきました。
 公開レッスンとピーサレフのリサイタルについては次回にアップします。