ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ロシアで出会った忘れえぬ人々1 つづき

 前回の運転手ニコライの話の続きデス。

 このときのロシア行きはピアノのレッスンの他にもヤロスラヴリ(モスクワから180キロのところにある美しい街。列車での移動はもうワクワクでした)で「日本文化の夕べ」というコンサートに出演したりと多忙なスケジュールで進みました。プライベートな時間でも「グリシコ」(バレエ用品店)に行ったりおいしいものを食べ歩いたり。前のときよりロシア語がわかるようになってきたこともあり、いろいろなところに恐怖感なく行けるようになっていました。

 帰国の前日、ハリキリすぎたツケか…ヤロスラヴリからモスクワに戻ってくるともう起きていられない…昼過ぎから眠り、水を飲んでまた眠る…(疲れすぎて食事もとれない)
 
 うつらうつらしていると突然電話のベルに起こされました。もうろうとした頭で受話器をとるとニコライ。眠気が一気に吹っ飛ぶ…
 「ユミコか?明日朝9時だったな。必ず行くからな」
 なぜかニコライの声がとても懐かしい…初日 究極の心細さの中で出会ったから…

 翌日慌しく帰国の準備、(前日眠りすぎて何もしていなかった!)8時半過ぎに電話が鳴り、(とにかくせっかち)
 「ユミコ、早く降りてきてくれ。今日はどうしても入れてもらえないんだ」
 この日はホテルの前である政治団体が集会をしており、混乱を避けるため特別警備が厳しかったようです。ものみなのんびりと静まり返っていたあの晩とは違っていたのです。

 「どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんだ?」私の顔を見た途端ニコライはそう言いました。
 いろいろなことがあった密度の濃いロシアでの日々…もう終わってしまうんだな、と思ったらとても寂しかった…なぜ…最後の日食事もできないほど疲れ果てていたのに…日本に帰ったらゆっくり休めるのに…
 「本当に素晴らしい日々だった。なのに今日私は帰らなければならないからよ」それだけ言うとどっと涙があふれてきました。
 「ユミコ、モスクワは遠くないよ。飛行機でたった9時間じゃないか。今はいつでも来られるんだよ」
 いつでも来られる…その言葉に重みを感じました。ニコライはソヴィエト政権下、自由に外国へ行けない時代をずっと生きてきたのです…

 シェレメチェヴォ1空港で(このときはサンクトペテルブルク経由でした)ロシア式に両頬にキスしてお別れしました。

 次にモスクワに行ったときの運転手はニコライではありませんでした。今どうしているのだろう、と思いましたが、彼を知っている人は誰もいませんでした。あのときすでに60才を過ぎていましたので、今はもう運転手をしていないのかも知れません。
 でも あのテンションの高ーいおしゃべりで私の中に眠っていたロシア語を見事に引っ張りだしてくれたニコライを今でも懐かしく思い出しています…