ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ロシアで出会った忘れえぬ人々 1

 何度もロシアにピアノのレッスンに行っていますが、行くたびに新しい出会いがあり、親切にしてもらいました。ピアノの先生や向こうに住んでいる日本人に友人以外にも心に残る人がたくさんいますので、彼らについて少しずつ書いてみたいと思います。

 ニコライは2003年にモスクワに行ったときシェレメチェヴォ2空港からモスクワ市内まで私を送迎してくれた運転手です。
 あのときは成田発のアエロフロートが何と8時間も遅れ、不安に満ちた旅の始まりになりました。シェレメチェヴォ2空港についたのはモスクワ時間の午前1時半!さすがに不安で機内で一睡もできなかった私を空港で出迎えてくれたのがニコライでした。初対面の印象は「怖い!」確かに彼は日本人の感覚でいうとかなり怖い風貌。(ロシア人にはこういう風貌の人たくさんいますが…)

 「うわーっ!このオッサンと深夜2人きりでドライブか。えらいことになった…」ドキドキしながら車に乗り込むと、体は疲れているのに頭だけが別の生き物のようにさえている…そのとき…
 
 ニコライのトークは始まってしまった…この人とってもおしゃべりだったのデス…
彼自身のこと…エンジニアを退職した年金生活者で 年金だけではとうてい食べていけないので、(近年のモスクワの物価上昇は物凄い)こうして自分の車を使って音楽学校にレッスンに来る人達を送迎する仕事をしていること、現役時代は国家(これは多分ソヴィエト政府)によって窓際に追いやられ、仕事に疲れて早く退職したこと。話を聞いているうちに 疲れてロシア語が出てこなかった私の頭はムリヤリロシア語モードに切り替わってしまった…(あとでホテルにチェックインするときにとても役立ちました)

 深夜2時半やっとホテルに到着。ところが門のところの警備が非常に厳しく、ニコライは中に入れない。フロントから部屋までは荷物を(このときは本番があったので全部で40キロ近かった)自分で運ぶように言われた私はモーレツな勢いで門番のお兄さんにくってかかり(これはニコライのトークのおかげ…)とうとうニコライに部屋まで荷物を運んでもらうことに。
 ここまででもうヘトヘト…早く休みたい…もう限界の私に対して荷物を運んでくれたニコライは相変わらずハイテンションのまま…「何て良い部屋だ。スラヴァ ボーグ(神のおかげで とかおかげさまで
というロシア語。ロシア人はよく使う)」
 何が「神のおかげ」だ…早く寝せてくれー、と思っているとニコライはまだハイテンションのまま「ではゆっくりお休み」と言って帰って行ったのでした…

 次回に続く…