ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

友の命日

 毎年この時期になると重苦しい気持ちになります。巷で太平洋戦争関連の番組が増えてくることもあるのですが、実は今日は友人の命日なのです。
 32年前の今日、何も告げぬまま彼女は旅立ってしまいました。
 これは私にとって初めて体験した身近な人の死でした。曾祖母が亡くなったときはまだ4才になるかならないかの頃で、悲しみや喪失感も味わうには小さすぎたし、その後も親戚のお葬式に何度か行きましたが、死がどういうものかを考えたことはなかったのです。

 一番多感な時代を共に過ごした人がいなくなってしまったことで、21才の私はたとえようもなく大きな喪失感を味わい、しばらくは悪い夢をみているような放心状態が続きました。そして、人生には必ず別れがついてくるものだということを身をもって知ることになりました。
 あの時以来、私は一度もこの日を忘れたことがありません。

 そして、その2日後の1985年8月12日にはJALのジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落しました。一瞬にして散ってしまった500人以上の命…どうか無事であって欲しいと祈る犠牲者の家族、この便に乗り遅れたために命が助かった人…いろいろな報道を目にしながら、今自分が生きていることは奇跡だと思えました。
 その頃私は東京に住んでいて、ちょうどお盆休みを実家で過ごすために翌13日のJAL便に予約を入れてありました。さすがにこのときは飛行機に乗るのがとても怖かった…機内ではちょっと揺れると悲鳴が上がり、無事に新千歳空港に着いたときは拍手が起こったのを覚えています。
 私にとって1985年という年は、おそらく人生初めての辛さを味わって、その中から多くを学んだ年であったと思います。

 昨年は毎年恒例の「ロシアン ピアノスクール」(カワイ表参道)のパーヴェル(ネルセシアン)のコンサートがちょうど8月12日で、この日にJALに乗りました。機内ではあの事故に触れた特別な放送がありました。現在のJALの社員であの事故の時に在籍していた方はもうわずかだそうです。

 毎年そんなことを考えながら、夏が終わって行きます。