ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ラヴェルのコンチェルト

 4月30日に国立市ラヴェルの「左手のための協奏曲」を演奏しました。
 まさかこの曲を本番で弾く日が来るとは思っていませんでした。1年前に右手を怪我したとき、それまでレッスンを受けていたパーヴェル・ネルセシアンに左手の曲を勉強しなさいと言われ、YouTubeに上がっている彼の圧倒的なラヴェルの演奏(こちら)が耳に残っていた私は、左手の曲をやるならこの曲しかないと思って始めました。
 しかし、左手だけで何をどうしたら良いかわからない上、傷めた右手のリハビリをしながらの練習に心身ともに疲れ果ててしまっていました。
 それでも一度彼にみてもらってからは左手のテクニックも少しずつ改善し、曲の全体像も見えてきていました。

 しかし…

 東京入りする前からこみあげてくるような緊張感を押さえきれません。レッスンのとき彼の伴奏で一度全体を通したときは間奏からの入りのミスはなかったし、あのときできたのだからと思っても怖さが襲ってくるのです。飛行機の中で音源を聴きながら暗譜のチェックをするともう発狂しそうでした。
 羽田からまっすぐ東京の先生のレッスンに行き、ようやく少し落ち着いてきました。

 何故そんなに怖いのか…左手だけだからなのか…両手であればこんなに緊張しないのか…

あれこれ悩んでも始まりません。

 いろいろなものを観たり読んだりしながら練習もできるだけのことをしましたが、当然反省すべきところはたくさん、弾いていて一番気になったのがやはり、特にカデンツァでメロディーと内声の音色の使い分けが不十分であると痛感しました。左手の親指で上のメロディーをきれいに弾くのは並大抵のことではありません。

 よく、弾いていて右手も使いたくならないかと聞かれるのですが、私の場合この曲を始めたときは右手が動かせなかったので全くそれはありません。ただ、本番中緊張してドレスのスカートをつかんでいたらしく、終わって明るいところに戻ってみたらその部分に汗じみがついてくしゃくしゃになっていました…

 前奏を聴いていて、怪我をしてから今までのことが走馬灯のように頭に浮かんでは消えました。今や私にとってこの曲のないピアノ人生など考えられないくらい私はこの曲にのめり込んでしまったのです。怪我をしたことはもちろん不幸なことだったし、多くの方にご心配とご迷惑をおかけすることななったのですが、あの怪我がなかったらこの曲を弾くことはなかったのです。
 人の運命とは何か摩訶不思議で予測できないものだと今感じています。