ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

左手の協奏曲2

 発表会(3月5日、札幌芸術の森アートホール、アリーナ)が目前に迫ってきました。出演者の皆さんはそれぞれ緊張しながら最後の仕上げに入っています。今週は最終週なので、一人一人見落としているところはないか、入念にチェックしていきます。小さい人達、特に女の子でドレスを着る人は教室に持って来て着てレッスンする人が多いので、衣装で不都合なところがないかチェックが必要ですし、2台ピアノ組は一人で弾くときにはなかった合図の出し方や読み方をわかっていなければなりません。
 いつもの週よりも今週は3倍早く過ぎる感じです。

 そして自分で第3部で弾くラヴェルの「左手のための協奏曲」も全体をていねいにさらい直して崩れたところはちゃんと修正しなければなりません。生徒さんにもう一度ていねいに楽譜を見直すことと言っていても、自分ができなければどうしようもありません。
 ラヴェルにこの曲を献呈されたヴィットゲンシュタインが初めこの曲は難しすぎると言ったそうですが、まさにその通りで、左手だけの限界に挑むようなテクニックの難しさがあります。
 
 この曲をさらい始めたときは左手の曲が初めてだったこともあったのと、右手が不自由だったので、ただひたすらテクニックのことだけのことを考えてさらっていました。そんな勉強のしかたが甘かったことをパーヴェル・ネルセシアンのレッスンで思い知らされることになりました。
 まず彼はこの曲を「この上なく残酷で厳しい雰囲気が必要だ」と言いました。この曲がヴィットゲンシュタインが右手を失った戦争をあらわしています。それなのに私は何も考えないでテクニックだけを追っていたのです。
 ピアノソロが始まる最初のところは、何か容赦ないものが人々の生活を破壊していく様子、そして家族や友人を亡くした人の嘆き、軍隊が迫ってくる様子、そして「怒りの日」の旋律が鳴って、激しい戦闘があって、その後のカデンツァは生きているものが何もない、死臭が漂うような感じで入らなければならないと言われました。
 
 もっと曲があらわしているものをよく追求しなければならないと思いながらYouTubeを眺めていると、一本の動画が目に留まりました。アンドレイ・ガブリーロフ(第5回チャイコフスキーコンクール優勝者)が弾くラヴェルの左手の協奏曲の演奏で、この曲のイメージをあらわした写真が次々展開されていきます。最初の場面は骸骨が無数に並ぶ戦場のあとの写真が出ていました。
 カデンツァのところでパーヴェルが言ったのはこういう場面だったのだと思いました。その他にも戦争をあらわす様々な写真が入っています。(Andrei Gavrilov,Ravel concerto for left handで検索すると出てきます。ただし、ショッキングな場面が多数ありますので、ショックに弱い方は見ないで下さい)
 絞首刑の写真など目を覆いたくなるような場面もありましたが、この曲のイメージを充分につかんで弾くことが大切だと思った私はあえて正視しました。イメージをつかんだことで私のこの曲の演奏は大きく変わったと思います。

 本番まであとわずかになりました。私も出演者の皆さんと一緒に少しでも良くなるよう最後まで努力していきたいと思います。