ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

あの日から5年

 東日本大震災から今日で5年、今週はメディアでも震災の話題を多く見かけます。

 あの日も金曜日でした。私は2日後に迫った発表会のためにみすまい幼稚園教室でレッスンをしていました。札幌は震度3だったので、初めはそんなに大事になっているとは思わず、「いつもよりも長いな」と思ったくらいでした。
 しかし、その後東京に住む妹から無事を知らせるメールが届き、これはもしかしたら大変なことになっているのかも知れないと思い、レッスンを中断してスマホ地震情報を見てみたら、大変なことになっていたのです。
 そして、レッスンを終えて帰宅してテレビをつけてみると、今まで見たことがない大変な状況が映っていました。

 しかし、私が本当にあの地震の恐ろしさを肌で感じたのは、それから5日後にリハーサルのために東京に行ったときでした。
 その年の4月に2台ピアノの本番を控えていました。中止になったコンサートも多くありましたが、こちらは中止と言われない限りは準備をしておかなくてはなりません。
 東京も強く揺れ、混乱が続いていたときでした。リハーサルの場所は八王子市、電車は間引き運転でしたが空港バスはダイヤどおり運行しているというので、羽田から八王子までバスで入り、何とか宿泊先にチェックインしました。
 計画停電があったときで、食料の流通も滞っていました。出発前に調べると、翌日午前中に計画停電が当たったときは朝食の提供はなしで、午前9時までにチェックアウトするようにとのことでした。
 いつもと違う神経を張り詰めてやっと部屋に到着し、眠りにつこうと思ったら、余震…このときはそんなに大きくなかったのかもしれませんが、14階の部屋は激しく揺れ、揺れがおさまった後も眠るどころではありません。
 いつでも避難できるように寝間着を服に着替えて、まんじりともせずに夜を明かしました。
 幸い、この日は午前中に計画停電がなかったので朝食はありましたが、置いてあるものの種類も少なく、料金も半額くらいだったのを記憶しています。
 今まで私たちが当たり前だと思っていた快適な暮らしは本当にもろいものであると痛感したのです。
 このときの京王プラザホテル八王子にはその後何度もお世話になることになるのですが、初めてのときがこのときだったので、今でも来るたびに思い出してしまうのです。

 今思い出すとああいうことも、こういうこともあったな、と思っても、目先の忙しさに追われて、あの頃の大変だった記憶は薄れつつあるのかも知れません。しかし、あの地震で多くの人が家族や友人や生活を失い、今なお傷が癒えぬ人が多くいることを私たちは決して忘れてはいけないのだと思います。