ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

長く、暗い夜

 水曜日、レッスンを終えて深夜に帰宅し、やっと眠りについて間もない午前3時過ぎ(日付変わって木曜日)、猛烈な揺れに眠りを破られました。いつもなら少し揺れて治まるのに、揺れはどんどん大きくなり、寝室の机やドレッサーの上にあったものが次々床に落ちました。あわててスマホを取り出してみると胆振東部で震度6強という表示(後で厚真町震度7だったと発表されました)…呆然としていると、点灯していたベッドライトがふっと消えました。
 これが北海道全戸大停電の始まりでした。
 初めは状況がわからず、電気はすぐ復旧するだろうと思っていました。しかし、報道を聞いていくうちに次第に被害の深刻さが伝えられ、簡単に復旧しないだろうということがわかりました。そして、電気が来ないままその日の夜を迎えました。

 真っ暗な中に懐中電灯が2つ…情報源は乾電池で動くラジオのみ…携帯キャリアはお昼頃からずっと圏外になっていてメールの送受信が全くできなかったのですが、WiMAXスマホにつないでみたらつながったので、SNSを見て情報を得ることができるようになり、少しほっとしました。(携帯キャリアメールとショートメールはずっと駄目でした)
 スマホWiMAXルータの電池が尽きてしまうと、ノートパソコンとタブレットのUSBにケーブルをつないで充電しました。こうすればパソコンに電池がある間は充電できます。
 電池がある間にと思い、師匠のパーヴェル(ネルセシアン)に自分と家族は無事であること、地震発生からずっと停電していることだけを急いでロシア語で書き送りました。外国ではあまり詳しく報道されないだろうから心配していると思いました。
  木曜日の夜から電気が復旧し始めているという情報は入っていたので、もうすぐ電気が来るだろうという希望を持って待ちましたが、とうとう来ないままその日は寝ました。

 翌金曜日の朝、まだ電気が来ていないことを知ったときは多少がっかりしました。しかし、こればかりは焦ってもどうにもなりません。冷えていない冷蔵庫から悪くなっていないようなものを出して、食事の支度をしました。火曜日に買っておいた肉もギリギリ大丈夫でした。 食料については地震の前夜に閉店間際のスーパーで5000円以上も買っていたのが幸いしました。その他、お向かいの奥さんが自宅の畑で採れた野菜を持って来てくれ、本当に有難くて心強くて涙が出ました。しかし、冷蔵庫がこのまま使えなければ、やがて悪くなってしまうでしょう。
 いったい電気はいつ復旧するのか…
 SNSであちこち復旧したという情報が入っても、とうとう電気が来ないままその日も暗くなりました。
 ノートパソコンとタブレットの電池も尽きてしまいました。
 もう一晩か…前の晩より格段に辛いことは目に見えています。

 スマホの電源がとうとう落ちてしまったので、今度は車を出してエンジンをかけ、車のUSBにつなぎました。
 ラジオで情報を聞きながら充電していた午後8時15分ごろ、パッと街灯がついて、近所のお宅の窓が一斉に明るくなりました。
 その途端に全身の力が抜けました…
 当たり前の生活を送れる有難さがこんなに身に染みたのは初めてだったと思います。

 うちは壊れたものは何もなく、電気以外の水道とガスは普通に使えました。もっと大変な思いをしている人がたくさんいるのに文句を言ってはいけないと自分に言い聞かせながら長く、暗い夜を過ごしました。

 結局、木、金曜日のレッスンはすべて休講になってしまいました。金曜日レッスンの方は来週、14日がお休みの予定でしたが、急遽この日に振替レッスンを行います(金曜日の方にはすでに連絡済み)。木曜日の方も後日1回振替を行います。明日(10日)、レッスンは通常どおりありますが、もしまだレッスンに来られる状況でない方は後日振替をいたしますのでご連絡下さい。