ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

留学をしなかったということ

  実は、私は長期の留学を経験していません。
  大学院を修了するとき、研究課題にチャイコフスキーを選んだことで、もっとロシア音楽について学びたいと思いましたが、当時はソ連邦崩壊の直前…ロシアの国内情勢も非常に悪かったときでした。家族や先生、友達など周りのすべての人に「今はやめた方が良いのではないか」と言われ、しばらく東京に残って、仕事をしながら勉強を続けることにしました。
 しかし、有難いことに日本でたくさん演奏の機会を頂いて、仕事も増え、何も折角頂いたこの仕事を捨ててまで行く必要はないのではないかと思えて、ついに行く時期を逸してしまったのです。

 その後、95年にレッスンの伴奏で初めてモスクワに行ったときに、やはりこちらで学んでみたいと思いました。
この頃になるとロシアの音楽院に留学する窓口が日本にもでき始め、いくつか問い合わせてみたのですが、今度は年齢制限に引っかかってしまい、再び道は閉ざされてしまいました。

 それならば日本で仕事をしながらレッスンに通って勉強を続けようと、常葉学園大学モスクワ音楽院セミナーに参加したり、ハイメス(北海道国際音楽交流協会)の研修でノヴォシビルスク音楽院でレッスンを受けたりして勉強を続け、2001年にモスクワ音楽院附属アカデミーへのレッスンツアーで出会ったのが、今もリサイタルのたびにレッスンに通っているタチヤーナ ラーコヴァ先生でした。(彼女は私のロシアのママなのです)
 この年、昨年の私のリサイタルで2台ピアノのパートナーをつとめてくれたパーヴェル(ネルセシアン)とも初めて会ったのですが(札幌でのコンサートの後お花を渡しました。後で聞いたら、このときのことを彼はよく覚えていました)、彼のレッスンも受けるようになったのはずっと後の2012年からです。

 今、日本からたくさんの優秀な若いピアニストが国外に出ています。私自身、留学を経験しなかったことがコンプレックスになった時期も正直ありました。現在は、モスクワ音楽院に日本人留学生が数多く行っているのを見ていて、若いうちにあの世界を経験できるのは羨ましいとは思いますが、自分はこれでよかったのだと思えます。いつか「自分に必要ないことは起こらない」と誰かが言っていたのを聞いたことがありましたが、これは正しいのかも知れませんね。10代20代の私が首尾よくモスクワ音楽院に入れていたとしても、パーヴェルと同級生になっていたりしたら(彼と私は同い年です)、劣等感のあまり精神を病んでしまうか、道を踏み外していたかも知れません。ただ、ロシア語を学び始めたのは30代だったので、語学だけはもっと早くからやっておくべきだったと思います。

 勉強するのに遅すぎることはないと信じて、これからも貪欲に良いものを吸収して、活動を続けて行きたいと考えています。