かなり前 まだ雪があった頃です。白石教室(実家)でのレッスンが早めに終わった夜 両親とテレビを見ていると「世界の車窓から」(テレビ朝日系)という世界の鉄道を紹介する短い番組でシベリア鉄道をやっていました。ちょうどハバロフスクからモスクワ方面に向かって列車が出るところから始まっていました。
忘れもしないシベリア鉄道…ビロビジャンの駅…
確かこの駅に着く前 私は車掌室の前のサモワール(湯沸かし器)のところで車掌のオジサンにこんこんと説教されていました。1つ前のハバロフスクで叔母と食料品の買い出しに行ったとき 列車に戻るのがギリギリになり、彼はひどく心配していたのです。
「もう少し早く列車に戻って来なさい。でないとどこかで列車に遅れてしまうよ。もし乗り遅れたら今日はもうイルクーツクへ行く列車はないんだよ。」
そう言って彼は乗務員用の時刻表を見せてくれました。時刻表大スキの私は説教そっちのけで見入ってしまった…
そうこうしているうちにこのビロビジャンに到着。
「この駅は何という駅?」と尋ねると、彼はそれには答えず「この駅は2分停車だから降りたらダメだ」とコワイ顔をして言うと、旗を持って行ってしまいました。
話し相手がいなくなった私は仕方なく自分の部屋に戻ったのです…
「もう少し早く列車に戻って来なさい。でないとどこかで列車に遅れてしまうよ。もし乗り遅れたら今日はもうイルクーツクへ行く列車はないんだよ。」
そう言って彼は乗務員用の時刻表を見せてくれました。時刻表大スキの私は説教そっちのけで見入ってしまった…
そうこうしているうちにこのビロビジャンに到着。
「この駅は何という駅?」と尋ねると、彼はそれには答えず「この駅は2分停車だから降りたらダメだ」とコワイ顔をして言うと、旗を持って行ってしまいました。
話し相手がいなくなった私は仕方なく自分の部屋に戻ったのです…
それから目的地 イルクーツクに着くまで列車の中で更に2泊したのですが、この車掌のオジサンには本当にお世話になり、いろいろな話をしました。(何もかも頼っていたので、イルクーツクに着いて列車を降りたあとは寂しさと心細さでいっぱいになり、泣きながら眠ったのを覚えています)日本に帰ってきた後 ロシア語の授業に行ったらタチヤーナ ゲオルギエヴナに会話が非常に上達したとほめられたのですが、彼がいなかったら私の上達度は全く違っていただろうと思うのです。