ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

外国語の楽しみ

 このブログでロシア語の勉強をしていることをたくさん書いていると、決まってある反応があります。

 「えーっ!まだ勉強しているんですか?スゴーイ!」  とか
 「語学の勉強が好きなんですね…」 とか…

 確かに私は語学の勉強が好きなのかも知れないけど…今は…

 中学から高校にかけて 私は5教科の中で英語が一番嫌いでした。(成績が悪いのは数学だったけど)当時の英語は今よりもっと文法、読み書きのみに重点をおいた授業で、私はどんなに頑張っても好きになれなかったのです。
 長文を読むとき 当然単語力がないからあちこちわからない…受験を控えたころ 焦って辞書の単語を丸暗記しようとしても徒労に終わるばかり…暗記は比較的得意だったのに、単語だけというのはダメみたい…何をしたらできるようになるのか、当時は全くわかっていなかったのです。

 それでもなんとか入試をクリアして、英語嫌いのまま大学へ。3年生のあるとき それまでの外国語の常識を覆すようなできごとがありました。
 その1年くらい前から伴奏法の授業でフランス歌曲の先生のところにレッスンに通っていました。先生の歌うフランス語がとてもきれいで憧れた私は「よし!習ってみよう」
 友達にいろいろ聞いてお茶の水にある「アテネ フランセ」の「クレディフ」というクラスに週3回(9時間)通い始めました。
 このクラスははじめ教科書を全く使わず、絵と耳から入ってくる音だけで授業を進める「聴くこと」と「話すこと」にとても重点を置いた授業でした。これがとても私に合っていました。

 「楽しい…」

 いきなり語学の楽しさに目覚めてしまった私は、毎回お弁当を作って熱心に通いました。

 そして半年くらいたったころ…

 当時パリ音楽院の教授だった 故アンリエット ピュイグ=ロジェ先生の公開レッスンを受ける機会に恵まれました。
 先生のおっしゃることをすぐ舞台で直すのはとても難しかったのですが、先生のフランス語に耳を傾けてみると…

 「わかる…」

 もちろん全部ではないけれど聞き取れるのです。

 「もっとわかるようになりたい!」

 公開レッスンのあと 前にも増して熱心に授業に通うようになりました。

 結局 大学院受験のため4年生の半ばで授業には通えなくなってしまったのですが、それまでの1年半でどうにか大学院をフランス語で受験できるだけのフランス語力がついていました。

 最初にロシアに行ったとき(1995年)はロシア語が全くわからなかったのですが、先生がフランス語のわかる方だったので、とても役に立ちました。

 現在はロシア語に押されて以前のように勉強してはいないのですが、ときどきテレビやラジオ講座でブラッシュアップをしています。