ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

舘野泉、草笛光子 音楽と物語の世界(6月28日、札幌コンサートホール)

 6月28日から今日までの6日間のお休みの間に2つのコンサートに行ってきました。どちらも忘れがたいほど強烈なインパクトを与えてくれるものでした。
 今日は一つ目の「舘野泉草笛光子 音楽と物語の世界」について書いてみます。

 舘野泉と言えば「左手のピアニスト」としてその名を知っている方も多いことと思います。
 ピアニストとしての絶頂期に脳溢血で倒れ、右半身不随になりながら、左手のピアニストとして再出発し、現在多くの左手の作品を演奏し、左手の作品の普及につとめています。
 私自身、昨年右手の怪我のために半年に渡って演奏を休まなくてはならなくなったとき、ここ3年ほどレッスンに通い、一昨年のリサイタルで2台ピアノのパートナーをつとめてくれたパーヴェル・ネルセシアンに「左手の曲を勉強しなさい。出口はそれしかない」と言われて、初めて左手のピアノってどんなものだろう、と思い、左手の曲の楽譜を探し始めました。
 楽譜屋さんでふっと目についたのが舘野氏が監修した「左手のためのピアノ曲集」でした。そしてそのすぐ後、羽田空港の本屋さんで最新刊「命の響」を見つけて、当時まだ右手が不自由で荷物が重くなるのは大変だとわかっていながら買ってしまったのです…

 プログラムは、
  バッハ(ブラームス編曲):シャコンヌ
  末吉保雄:土の歌・風の声
  「白髪の恋の物語」(谷川俊太郎著/詩集「女に」より シサスク「エイヴェレの惑星」第2番)
  吉松隆:KENJI…宮澤賢治に寄せる語りと左手ピアノのためのop.65b

 最初の「シャコンヌ」は左手のピアノ作品の中でよく演奏されるものの一つで、私も昨年少し弾いていました。それだけに左手だけのテクニックの大変さと昨年怪我をしたときの絶望感が思い出されて、不覚にも最初の一音から涙を流してしまいました。
 「命の響」にも氏が病に倒れたときのことが綴られています。その中で一番印象に残っていたのが「今は弾けなくなった両手のレパートリーが現在の演奏を支えてくれている」という部分でした。
 病で破壊された神経が元に戻らないと分かってからこう言い切れるまでいったいどれほどの葛藤があったことだろう、と思いました。
 しかし、その演奏には悲壮感のようなものは微塵もなく、どこまでもナチュラルなのです。

 後半の2曲は草笛光子との語りとの共演、私自身1月に「メロデクラメーション」(ロシア語の語りとピアノとの共演)を演奏したので、この2曲を非常に興味を持って聴きました。
 語りとピアノが寄り添っていくところもあり、それぞれが全く違う表情を奏でながらその調和が素晴らしかったところもあり、惹きこまれました。

 「命の響」によると舘野氏の脳溢血の傷の箇所はあと1ミリずれていたら命がなかった場所だったそうです。もし1ミリずれていたらこの日私たちが聴いた珠玉の曲も生まれていなかったわけです。
 人の運命とは摩訶不思議で予測のつかないものだと改めて思わずにはいられませんでした。

 今年の11月10日、80才の誕生日に東京オペラシティで左手のコンチェルト4曲を弾くそうです。このコンサートの最後が、ついこの間まで私が弾いていたラヴェルの「左手のためのコンチェルト」なのです。これはとてもとても聴きたくなってしまったのだけど、私自身11月6日に東京で本番が入っており、聴きにいくのはスケジュール的にかなり厳しい状態です。
 札幌でもこの企画、やってくれないかしら…