ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

「シンデレラ」の始まった瞬間

 8月のリサイタルが終わってからあっという間に1ヶ月がたってしまいました。リサイタルの前から時の過ぎるのがあまりにも早く、季節の変化に気持ちがついて行っていない感じです。
 世界的なピアニストとの2台ピアノ共演という強烈な体験をした後だったので、普段の精神状態に戻るには少々時間を要しました。
 細かい記憶は薄れてくる頃ですが、おそらく私が生涯にわたって決して忘れることがないであろうと思われる一瞬があります。

 リサイタル第1部が終わったあとの休憩のとき、パートナーをつとめてくれたパーヴェル(ネルセシアン)は舞台袖でいつになく饒舌でした。当日のリハーサルのときも彼はとても厳しかったので、私は彼と目を合わせるのが怖くて、なるべく彼の顔を見ないようにして話をしていました。
 第2部の1ベルが鳴り終わったとき、彼は私の正面に回り込んで来て言いました。
 「少々のミスは誰にでもあることだ。恐れないで思い切って、楽しんで弾こう…」
 そして舞台に明かりが入ると、彼の「ユミコ、ダヴァーイ!(頑張れ、とか行け、という意味のロシア語、スポーツの大会の応援でもよく使われます)」という声とともに私は舞台に送り出されました…

 向かいのピアノに座った彼と目が合いました。その瞬間、彼は私を励ますように微笑んでくれました…

 つられて私も…

 多分、彼が私の笑顔を見たのは、この時が初めてだったと思います。モスクワや東京で合わせをしていたときも、八王子でレッスンを受けていたときも、私はいつも緊張して彼の顔を凝視していました。彼が私に要求することはとてつもなく厳しいことだったし、またそれをロシア語でというのが難しく、彼に笑顔を向ける余裕など全くなかったのです。

 この瞬間、私の中で迷いが消えて、完全にスイッチが入りました。あとはただ無我夢中で弾いたという感じです。
 一週間後、できてきた写真の中にこの瞬間をとらえた写真がありました。おそらく一番緊張していたであろうとき、私たちはこんな穏やかな顔をしていたのです…

 いろいろ大変だったけど、あきらめなくてよかった…そんな考えが私の頭の中をよぎったような気がします…
 
 パーヴェルのオフィシャルサイトの中の "Календарь событий"(コンサートなどの予定、ロシア語のみです)のページに「札幌でのコンサート」と題して私のリサイタルのことが書いてありました。私の名前も載っていて、こういう私的なコンサートは載らないだろうと思っていた私は非常に驚きました。アドレスは www.nersessian.com/calendar/ です。