ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ロシア語地獄の果て

 リサイタルが終わって10日余が過ぎました。
 今回のリサイタルで一番大変だったことの一つはやっぱりロシア語だったと思います。後半で2台ピアノのパートナーをつとめてくれたパーヴェル(ネルセシアン)は母国語がロシア語なので、彼との会話とメールはすべてロシア語でした。しかし、ロシア語を習って十数年が経過していても、長期の留学も経験しておらず、授業だけでずっとやってきた私にとっては大変な難行苦行だったのです…

 彼のレッスンを受けるようになった2年前から彼とはいろいろな話をするようになっていました。2台ピアノをやると決まってからは、更にメールのやり取りが増えました。3日がかりでやっと書いたメールに30分で返事が来て(何しろ向こうは母国語だ…)、その返事を書くのにまた3日…ビザ用語などの特別な言い回しは専門の方に教えて頂きましたが、書くのはすべて自分でやっていました。私のロシア語キーボードはまだ雨だれ式だったし、書いていて気が遠くなることもしばしばでした。
 リサイタルが近付いて細かい打ち合わせをしなければならなくなると、返事に3日もかかっていては作業に支障がでるため、できるだけ早く返信しなくてはなりません。

 一方、会話の方も大変でした。ロシアに行っても言葉に慣れた頃には帰らなくてはならないので、やっぱり向こうに住んでいる人に比べると聞き取りも遅く反応も鈍い…しかも慣れていないのですぐ疲れてしまう…
 彼とオペラやバレエやその他いろいろなことを話すのは楽しいのだけど、問題はひたすら私のロシア語力にあったわけです。
 彼も超多忙な中、私の未熟なロシア語によくつきあってくれたと思います。
 肝心のピアノの方の準備も、彼について行くためには、自分の全神経を研ぎ澄ませていなければなりませんでした。食べることも眠ることもできなくなることもありました。

 7月初旬、モスクワでの疲れとリサイタルの事務作業、それにロシア語Eメールに疲れて私はもうダウン寸前でした。

 これ以上はもうムリ…リサイタルが終わったらロシア語もやめて、彼からも離れてのんびり暮らしたい…

 当時の偽らざる心境でした。

 8月に入ると心身ともに壊れかけてしまったのですが、それでも日本に入ってきた彼と「シンデレラ」を合わせると、それだけで力をもらえ、ピアノもロシア語も頑張ろうという気になったものです。

 こうしてリサイタルの日を迎えました…

 舞台袖で彼と話をしていて、自分で今まで感じたことがないくらいロシア語が楽に口から出てきました。そして、自分がすっかりロシア語に魅せられていることに気がついたのです。

 リサイタルが終わったあと、私は以前に通っていたユーラシア協会の金曜クラスに復帰することに決めました。そして、今月14日に行われる「ロシア語詩の集い」で、リサイタルで弾いた「四季」の詩をもう一度暗唱することにしたのです。

 ロシア語地獄の果てに続いていたのは更にロシア語を続けるという道でした…