昨日、4月1日は作曲家、ラフマニノフの150回目の誕生日でした。今年は生誕150年ということで、数多くの記念コンサートが世界中で開催されています。
ロシア音楽を研究課題の中心にしてきた私も数多くの彼の作品を勉強してきました。
「ピアノ協奏曲第2番」は前回の2台ピアノ部門があった教室の発表会(2020年)には生徒さんの伴奏もした思い出のある曲です。その他「前奏曲」「パガニーニの主題による狂詩曲」「ソナタ第2番」などいろいろ勉強したことを思い出します。ちょうど20年前の2003年にはリサイタル「ラフマニノフの世界」で札幌市民芸術祭奨励賞を頂きました。
彼の作品に強く惹かれた理由の一つは、その根底に流れるロシアの広大な風景を思わせるスケールの大きさだったと思います。
2018年にロシア、タンボフ州イワノフカ村の「ラフマニノフ博物館」を訪れました。モスクワから列車で9時間の町、タンボフから更に車で2時間(95キロ)…ロシアでの一人旅は多くの方に助けて頂いて、無事に博物館にたどり着くことができました。
1917年に起こったロシア革命のときにラフマニノフは故郷のロシアを後にして、しばらくヨーロッパで演奏活動をした後、アメリカに渡り、そのままロシアの地を踏むことなくアメリカで亡くなります。しかし、彼は生涯自分はロシアの作曲家だと言っていました。その彼の言葉が博物館の中の碑に刻まれていました。
私はロシアの作曲家である、私の性格や物の見方はロシアによって造られたもの、その成果である私の音楽はロシアの音楽である。
彼の言葉が迫って来るような感じがします…
現在、ロシアによるウクライナ侵攻で多くのロシア人が運命に翻弄される生活を送っていると思いますが(戦争に反対する人には厳しい処罰が下され、国外に脱出した人も数多くいると聞いています)、ラフマニノフもロシア革命の中で運命に翻弄された一人だったのでしょう。
昨夜の帰り道、聴いていたロシアのクラシック専門のラジオ「オルフェイ」(ロシア語でレッスンを受けるための音楽用語を覚えるのにこのラジオは欠かせません)でもラフマニノフの誕生日を盛大に祝っていました。その中でふっと流れてきた曲はラフマニノフの作品の中で私が最も好きな曲でした…ロシアの冬を思わせる一曲です…
練習曲「音の絵」作品33-4です。