ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

アメリカだより2016 第5回(最終回)

 前回の続き、
   10月18日(水)
 レッスンがすべて終わって、この日はボストンからダラスへ移動する日、10時にタクシーを頼み、宿の猫ちゃんChibiにお別れを言って、来たときと同じローガン空港に向かいました。(ボストンは空港が一つだけなので、わかりやすいです)
 便出発までとても時間があったので、ショッピングモール探検…
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 搭乗口の近くのお土産屋さんでこのコを買いました。
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 ボストン名物、ロブスターのロブちゃんです。今は白石教室の図書室で黒猫ちゃんの相棒になっています。

 ここからがミスの連続でした…

 搭乗便はアメリカン航空1211便、13:00発、ダラス フォートワース国際空港行きです。
Eチケットが来たときに書いてあった英語の説明をよく読まなかった私はアメリカの航空会社のシステムをよく知らないまま搭乗しました。ロシアに行ったときと同じように機内食が出るものと思いこんでいたのです。
 乗ってみると機内食は別料金で注文制、待てどくらせど食事は出てこず、カロリーメイトと機内で出たお菓子だけで寒い機内(JALに比べると機内は格段に寒かった。やっぱりアメリカ人は体感温度が違うらしい…)で昼食を済ませることになってしまいました。

 ミスその2、
 お金はいくつにも分け、使わないクレジットカードは身につけ、バッグを擦り取られても大丈夫なように万全の準備をしていたのですが、ここでまた失敗…
 有り金を全部奪われた非常時のために、当座使わないユーロをトランクの底に忍ばせていたのですが、それを出し忘れてボストンで荷物を預けてしまったのです。
 TSAロックではないので鍵は開けてあります。(TSAロックのないトランクは手荷物検査で引っかかったとき、鍵を壊されると聞いていました)
 これはもう諦めるしかない。
 そう思ってダラスのホテルに着いてトランクを調べてみると…
開けられた形跡はなく、ユーロは無事でした。
 でもこれは完全にミステイクでしたね。今後はトランクを開けて預けるときは現金はちゃんと出しておきます。

 そして、究極のミスその3、
 この日宿泊するホテルの空港シャトルバスのリクエストを忘れていたのです。
 ダラス フォートワース空港のシャトルバス乗り場で待てど暮らせどバスが来ない。この日のダラスは33度、ボストンとの急な温度差に私はもうダウン寸前でした。
 そのとき、空港のターミナル間バスの運転手が私に声をかけてくれました。ずっと待っている私を見て何かトラブルがあったと思ったのでしょう。事情を説明すると、彼はすぐホテルに電話をかけてくれました。
 その後もバスはなかなか来なかったのですが、彼はターミナル間を一周してして来てまだ私がいるのを見ると、
 「もう一周してきてまだバスが来なかったらもう一度ホテルに電話する」と言ってくれました。
 彼がもう一周して戻って来るのと同時にホテルのシャトルバスがやって来ました。
 こうして親切な人に助けられて、私はやっとホテルにたどり着いたのです。彼の名前はフランシスコ、そう言えば中学、高校を過ごした母校の修道会はフランシスコ会でした。カトリック教徒かも知れません。
 いきなり呼び出され、私一人のために空港まで来てくれたシャトルバスの運転手もとても親切でした。ホテルに着くと、翌日私が間違えないように搭乗便の出発時間を聞いてきて、シャトルバスの予約票に書いてくれたり、夕食のレストランの案内をしてくれました。
 アメリカにはチップ制があり、タクシーやレストランではお会計の15〜20パーセントをチップとして上乗せするし、シャトルバスの運転手には1〜3ドルくらいを渡すとガイドブックに書いてありました。慣れない私はこのチップを忘れないように緊張していたのですが、何とこの人にだけチップを渡すのを忘れてしまったのです。
 翌日に少し多く渡そうと思っていたら、翌日の運転手は別の人でした。とても心残りです。

 この運転手も、空港で助けてくれたフランシスコも黒人でした。他にもボストンからニューヨークに行ったときの列車の車掌を始め、この旅行で私に親切にしてくれた人は黒人が多かった。よくアメリカを知らない人が何となく抱きがちな 黒人=怖い、という無意味な先入観を自分も知らないうちに持っていたことを私は心から恥じました。

 元気であればダラスの街(空港から40キロくらい)まで行っていろいろ見たいと思っていましたが、さすがに高熱が出た後なので諦めました。ボストンに続き、またまた街の見物は諦めることになりました。パーヴェル(ネルセシアン)のレッスンを集中して受けられたことだけで今回は充分だと思うべきなのでしょう。

 お昼をあまり食べていなくてお腹がすいて、夕食はホテルのレストランへ、アメリカでの最後の夕食です。
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 この辺りはメキシコに近いためか英語よりスペイン語の方が多く聞こえました。
ホテルの部屋はニューヨークと同じくらい寒かったのですが(何しろ今度は外が暑い)、幸い部屋がツインだったので、もう一つのベッドの毛布を引っぺがして2枚かけました(これは私の得意技)今度は荷物が全部あるので、あったかグッズもちゃんとあります。快適に眠りました。

   10月19日(水)
 いよいよアメリカ最後の日です。朝9時のシャトルバスで空港へ向かいました。今度は私だけではなく、他の乗客も一緒です。航空会社のクルーの人もいました。
 この日も暑くなりそう…アメリカ南部の太陽の強さはやはりボストンとは全く違います。そして、雰囲気も全く違う…何か開放的な感じはしましたが、このテキサス州アーリントンの街は少しさびれていて、何か活気がないように感じました。先日のアメリカ大統領選挙で、テキサス州は早々とトランプ氏支持が決まっていました。彼を支持した人は改革を求める人が多かったと聞きましたが、このあたりの人々はあの少しさびれた雰囲気を打破するような徹底した改革を求めていたのかも知れません。
 空港のDターミナルに着いて、ここからが長かった…JALのカウンターは広いターミナルの一番端にありました。重い荷物を押して歩いて歩いて…やっと鶴のマークが見えたときの嬉しさと言ったら…これぞ自国の航空会社です。
 空港のラウンジからの眺め。
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 ボストンで日本人の経営するゲストハウスに泊まって日本語を使っていたので、JALの機内に入っても涙は出ませんでした。それでも日本語が通じる世界は何とも言えない安心感があります。

   10月20日(木)
 JAL011便、 12:00発、成田行きは定刻ぴったりに動き始めました。この時点で日本ではすでに20日午前2時になっていました。(この時の時差はマイナス14時間、現在は冬時間になったので、マイナス15時間です)
 帰りの便の座席は、最後まで粘ったのだけどビジネスクラスが取れず、プレミアムエコノミーでした。すぐ前のビジネスクラスは満席、これではとてもタダ券の入りこむ余地はありません。一番前の前が広い座席でしたが、行きで良い思いをしたので、少々辛かったというのが本音。リクライニングはやはり腰が痛くなって使えず、13時間20分の飛行中座席はずっと立てたままでいました。眠ったのは1時間だけ、あとはひたすら食べ続けていたような気がします。私の麺類渇望症はまだ治らず、機内食の他にこんなものも食べていました。
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 15:15、飛行機は定刻よりわずかに遅れて成田空港に着陸しました。日本に帰国する方は皆そうだと思いますが、私も背骨が折れたように腰が抜けました。
ここから直行で新千歳に飛べる便があったのはラッキーでしたね。

 猛暑のダラスから帰国した私を千歳で迎えてくれたのは…今年の初雪でした。