ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

アメリカだより2016 第4回(全5回)

前回の続き、

   10月16日(日)
 この日からまたパーヴェル(ネルセシアン)のレッスンが始まりました。ニューヨークに行っている間は英語ばかりだったのですが(学校時代から英語が嫌いだったのでなかなか話せるようにならなかったのですが、アメリカで一人で行動していると何とかなってくるものです)、ここからまたロシア語と英語の二本立てです。(彼との間はすべてロシア語です)
 アメリカに来てからずっと緊張で不眠が続いていたのですが、この日はニューヨーク行きで疲れたのか熟睡、危うく10時のレッスンに遅れるところでした(レッスンの場所と宿が近いとどうしても油断するものです)。
 もちろんニューヨークはどうだったか、とくにバレエのことについて詳しく聞かれました。彼はパリでニューヨークシティーバレエを観たことがあるそうです。そのときはオール・バランシン作品のプログラムだったそうです。
 この日はチャイコフスキーの小品、「感傷的なワルツ」「ロシアの踊り」「秋の歌(「四季」より10月)」だったのですが、練習が2日間できないままレッスンに突入したので、彼の前でここまで不出来だったことはなかったという状態…帰って来て早々、怒られることになりました。レッスン前に少しでも練習できていたら、と思ったのですが、朝は彼が自分の練習をしています。ここまでレッスン室を自由に使わせてもらってこれ以上の我儘は言えません。
 それでもレッスンが進むにつれ指も慣れてきたのですが、この日は低調なまま終わり、彼は「練習しなさい」と言って部屋を出て行ってしまいました。
 ニューヨークでの疲れが出てしまったのか(体力ない)、この日は頭の働きも悪くロシア語のヒヤリングも低調だったのですが、レッスン中から何だかニューヨークでの寒さが残っているような悪寒がしていました。
 何だかおかしい…
 すぐ宿に帰って休みたいと思いましたが、このままこの日も練習を休めば、最後のレッスンになる翌日は更に低調になることはわかっていました。しかも翌日持って行く予定だったのは来年再度演奏することが決まったラヴェルの「左手のための協奏曲」でした。悔しかったので寒気に耐えながら2時間頑張りました。
 (彼のレッスン室には各国で開催されたコンサートのポスターが貼ってあります。去年の12月の東京でのコンサートのもありました。私は彼の写真が見えるところでは怖くて練習できないのだけど、さすがに本人がいなくなった後は大丈夫でした) 
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 2時間後、限界を感じて食事を買って宿に帰りました(宿が近くて本当によかった)。喉が焼けるように痛く、悪寒がひどかった。熱を測ってみると38度3分…
 ボストンまで来て熱を出してしまった…
 お腹の底から突き上げるような悔しさがこみ上げてきました。
 原因はやはり寒さに震えながら過ごしたニューヨークでの一晩だと思います。寒かったこと以外は楽しいことばかりだったニューヨーク滞在だったのですが、とんでもない副産物がついて来てしまったのです。
 この日、13日に観られなかったボストン美術館と彼のもう一つのおすすめ、イザベラ・ガードナー美術館に行こうと思っていたのですが、とてもそれどころではありません。
 大事なのは翌日のレッスンに少しでも良いコンディションで臨むことです。
 外はまだ明るかったけど、日本から持って来た解熱剤を飲んでベッドに横になりました。
 何とか熱が下がりますように…

   10月17日(月)
 朝、熱を測ってみると平熱に戻っていました。しかし、頭がひどく痛く、吐き気もあり、宿の朝食もほとんど食べられないままレッスンに臨みました。食べていなくても1、2時間ならもつだろう…彼のレッスンを集中して受けられることがどんなに贅沢なことかは充分わかっていましたので、これが終わったら死んでも良いくらいの気合いの入り方でした。
 この日はラヴェルの「左手のための協奏曲」、第1次世界大戦で右手を失った友人のためにラヴェルが書いたこの曲は全曲に渡って戦争の残酷さと死の恐怖が描かれています。
 途中カデンツァで1か所飛ばしてしまったのだけど、前日よりも良いコンディションだったと思います。何とか昨年夏に受けたこの曲のレッスンの続きができました。
 しかし、咳と鼻水でぐしゃぐしゃの状態だったため、風邪をひいたことを彼に知られてしまいました。
 異国の地で熱を出してしまってよほど心細そうな顔をしていたのでしょう。彼はとても心配していましたが、「もし、熱が下がって元気になったら水族館に行ってごらん…」
(彼はもしガイドになっていても第一級になっていたと思います…)
 レッスンが終わったときはその場に崩れ落ちそうでした。
 宿に帰るとまた熱が出てきました。これはとても水族館や美術館どころではありません。翌日はボストンからダラスに移動しなければならないのです。
 美術館や水族館は逃げない…今回はあきらめよう…身体の方が大事だ…
 また解熱剤を飲んで、こんこんと眠りました。昼から夕方まで寝て、夕食を食べてまた眠りました。よくこれだけ寝られるなあ、と思うほど強い眠気が襲ってきました。
ボストン大学前のセブンイレブンに売っていたカップうどんをよく食べていました。そしてこのジュース…何ともおいしくないのだけど身体によさそうでしょ?)
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結局、ボストンではどこも行かないまま日本に帰ることになりました。初めてモスクワにレッスンに行ったときもクレムリンを見ないで帰ってきたのだけど、同じことをまたやってしまったのです。