ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

訃報

 1月20日 教室の発表会で弾く曲がようやく出来上がったので、レッスンに持って行きました。いずれも初めて取り組む曲で念入りな準備が必要です。
 前回のレッスンに行ったとき先生から奥様の膵臓と大腸に癌が見つかったと聞いていたので、奥様のこともとても気になっていました。

 伺ってすぐ 先生から奥様の訃報を聞きました…

 途端に頭が真っ白になってしまった…ピアノの上に置かれた白い布に包まれた骨壺を見たとき、私はあふれる涙をこらえることができませんでした。
 先生も泣きながら奥様の最後のときの話をしてくれました。
 この日はお互いレッスンに入るまでに長い時間が必要でした。

 私にとって奥様は相撲部屋でいう「おかみさん」のような存在だったと思います。相撲部屋では親方は厳しく、おかみさんが陰でいろいろと弟子の面倒をみてくれる、と聞いたことがあります。
 高校3年のときに先生のところに通い始めて、翌年大学に入ってひとり暮らしを始めたので、レッスンのあとに食事をご馳走になったり、食事を作るのが大変だろうと次の日の分まで頂いて帰っていました。チャイコフスキーのコンチェルトとリストのソナタを一緒にレッスンに持っていったときは、消耗したでしょう、とステーキを出してくれました。
 先生はすさまじく厳しかった(今でも恐いです。でも先生が良いと言ってくれるとそれだけで安心するのです)ので、レッスンで怒られたあとそっと慰めて頂いたこともありました。
 私がクロイツァー記念賞を頂いたときに、電話口で奥様が泣いていたのを昨日のことのように覚えています。
 学生のときもプロになってからも言葉に尽くせないほどお世話になりました。

 この日 レッスンのときはそれなりに集中できていたのですが、終わったあとはショックでフラフラ…帰りの飛行機の中でもずっと泣いていました。
 深夜にもかかわらず 両親が新千歳空港に迎えに来てくれました。とても家に帰れる状態ではなかったので、この日はそのまま実家に泊まって、翌21日に白石教室のレッスンを終えてから家に帰って来ました。

 数日たった今日も骨壺の白い布が強烈に頭に焼き付いて離れず、そのことを考えないように努力しないとレッスンが大変です。
 このショックで治りかけていた胃炎がぶり返してしまい、今日 急きょ病院へ…折角なくなった薬がまた復活してしまいました…