ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

クロイツァー記念賞

 毎年5月下旬になると 私のもとに「クロイツァー賞受賞者による演奏会」というコンサートのチラシが届きます。この「クロイツアー賞」(正式にはクロイツァー記念賞)とは 戦中から戦後すぐの時期にかけて日本の3つの音楽大学東京芸術大学国立音楽大学武蔵野音楽大学)で教鞭をとっていたレオニード クロイツァー教授(1884~1953)の功績を記念して、3校の大学院修了者の成績優秀者に贈られるものです。(以上クロイツアー記念会HPより)

 あ…もう1年たってしまった…このチラシが届くといつも毎年思います…月日のたつのが年々早くなるような気が…

 1989年 私は恩師をはじめ多くの方に支えられて 幸運にもこの賞を頂きました。学部生の頃から憧れていたので、受賞が決まったときは本当に嬉しいものでした。(高校生のときから師事し、今もいろいろなアドヴァイスを下さる先生の奥様が電話口で泣いていらしたのを昨日のことのように覚えています)
 しかし その後は厳しいものでした。大学院の新人演奏会に始まって地方の同調会(大学の同窓会)の招待演奏、コンチェルトのお話もいくつか頂き、見る間にスケジュールはびっしりに…さらう曲が多すぎてどうしたら良いのかわからない状態に。心身共に壊れかけながらも私は「卒業しても演奏の場がない人が多い中でこれは本当に有難いことなんだ」と思いながら必死にレッスンに通い続けました。どうにもならなくなってレッスンで大泣きしてしまったとき、先生がうまく私のモチベーションをコントロールして下さったことも…これは 現在生徒さんが本番を控えていてうまくいかなくなっているときに こちらがどうしたら良いか考える基本になってくれています。本当に有難いことでした。
 こうして支えて頂きながら私は何とかピアニスト1年目を乗り越えることができたのです。(この年の年末までに体重は9キロ減っていました!)

 あれから20年…本当にいろいろなことがありました…ロシアと出会ってロシア語を本格的に学ぶようになり、研究の中心も見えてきました。また ピアノを手放さなければならないかと思えるほどの未曾有の健康的危機も体験しました。記念会のHPの「受賞者」のところを見ると、もう後輩の方が多いくらいになっているんですね。若い優秀なピアニストもどんどん登場する中で自分はもう「若いピアニスト」とは言えない年齢になってしまったのだけども、いつまでも貪欲に吸収する気持ちを忘れないように邁進していきたいです。

 そして やがては「素敵なおばあちゃんのピアニスト」になれたら嬉しいですね。