ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ロシアだより2018 第2回(全6回)

 前回の続き。

  10月27日(土)
 前夜、現地時間の夕方7時(日本時間午前1時)頃から眠りについてしまいました。夜が長かったのですが、その間中眠り続け、翌朝7時に快適に目覚めました。長いフライトの疲れも時差もすっかりなくなり、体がモスクワ時間になりました。
 この日は13:44の列車でタンボフに向けて出発するのですが、その前にパヴェレツ駅の隣にある鉄道博物館へ。荷物がなければちょうど良いお散歩コースです。
 鉄道博物館正面、

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 鉄道の歴史が詳しく紹介されていて、鉄道好きにはこたえられない場所です。

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 見学を終えてまたホテルに戻り、部屋に置いてあった大荷物を持ってパヴェレツ駅へ。
 前夜の筋肉痛はまだ残っていて、もう歩くのはこりごりなので、フロントでタクシーを頼みました。今はロシアのタクシーもアプリで呼ぶのです。タクシーを頼むと、すぐタクシー会社と車番を書き出してくれました。
 「家に帰るのかい?」
と運転手さん、
 これからタンボフに行くと言うと、彼はタンボフにいたことがあったそうでとても上機嫌…
 「きれいな街だ。きっと気にいると思うよ。楽しんでおいで」
と言って、129ルーブル(約280円)を120ルーブルにまけてくれました。

 ロシアの空港や鉄道駅は、中に入るのに金属探知機を通らなくてはなりません。重いトランクを台に上げるのがまず大変…貴重品の入ったバッグも一度手から離さなければなりません。クレジットカードは身につけていましたが、パスポートは列車に乗るときチェックがあるので、バッグの中でした。まず重い荷物から先に、バッグは最後に金属探知機を通してすぐ人間用の金属探知機を走って通り、バッグをつかむ…駅はどんな人がいるかわかりませんので、何ともプレッシャーです。

 駅のハンバーガー屋さんでお昼を食べて、いざ列車へ…
 私達の47番列車は13:44、パヴェレツ駅発、ヴァラコヴォ行き、タンボフ到着は22:40、名前のついた優等列車ではなく、普通の列車、コンパートメントの中はこんな感じです。

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 8年前、両親と叔母とシベリア鉄道に乗りに行ったとき、コンパートメントの上の段のベッドを「猿の生活」と呼んでいたのですが、ここの猿の生活はちょっと大変そう…
 あのときと同じように車掌室の前でお菓子を売っていました。

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 私の席は7号車の17番、4人コンパートメントです。
 同室者は、カーチャとアンドレイの若い夫婦とそのお母さんの3人連れ。彼らはサラトフまで行くそうで、翌朝まで列車で過ごすのです。列車が発車するとすぐパンやサラミやチーズなどの食べ物をたくさん取り出して、食事を始めました。お母さんが私の分もお湯とカップをもらって来てくれ、私も頂いて一緒に食事をしました。サラミがとてもおいしかった…
 何か日本のお菓子でも持って来ればよかった、と思いました。私には何もあげるものがなかったので、とても後悔しました。
 ロシアの列車ではどうもお酒が禁止になったようです。彼らはコニャックを持ち込んでいたのですが、乾杯をするときは必ずコンパートメントの戸を閉めるのです。しかし、車内はとても暑く、ずっと閉めていると耐えられないので途中で開けるのですが、途中でしっかり車掌さんにバレていました…

 以前はロシアのトイレといえば凄まじいものの代名詞だったのですが、最近ロシアのトイレはきれいになって、あまり凄まじいトイレにはお目にかからなくなっていました。しかし、ここのトイレは停車中は使用禁止で、紙を便器に流してはいけない古きロシアのトイレでした。その上、手を洗うところの水道が壊れていて水が出なかった…
 手も洗えないんだ…
 暗澹たる気持ちでコンパートメントに戻った私にお母さんがそっとウェットティッシュを差し出してくれました。人の温かさが身にしみました。

 16:10、ウズナヴォに到着。ここで25分停車です。
 向かいのホームに1番列車ヴォルゴグラード行き、「ヴォルゴグラード号」が入ってきました。

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 景色が見えている間はそれなりに退屈しなかったのですが、17時を過ぎると真っ暗になって外が何も見えなくなりました。

 タンボフまでの道中は9時間…景色が見えていたうちはそれなりに退屈しなかったのですが、18時を過ぎると、とても眠くなってきました。まだあと4時間40分もあるのです…

 私が眠りそうになっているのを見たお母さんが布団カバーをかけて私のベッドを作ってくれたので(私は下段でした)、とうとうこんな体制に…

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 向かいに3人で座っていましたが、私は悪いなあと思う余裕もなく自分のベッドで眠り込んでしまいました。

 ロシアの列車は発車の合図などがなく、いきなり戸が閉まるので、降りそこなったら大変だと思いました。前の停車駅、ミチューリンスクまで来たときにまずスマホで時刻表を出して、遅れがないことを確かめ、到着の10分前(22:30)になったときに彼らに別れを告げて、廊下へ出ました。タンボフで降りる人はたくさんいたので、列車の戸からプラットホームまで1メートルくらいあるところでトランクを下してもらい、無事にホームヘ…

 ホームに丹波、タンボフ交流協会、露日協会タンボフ支部のイリーナが待っていてくれました。彼女とはこれが初対面です。
 最初は一人でタクシーでホテルまで行くつもりだったのですが、彼女は心配して駅まで来てくれたのです。迅速に事を運ぶ彼女のおかげで10分ほどでホテルに到着。本当に感謝です。
 ホテルは「チアトラーリナヤ」
 コンパクトだけどとても快適なホテルでした。
 ただ、部屋に毛布が1枚しかないのでもう一枚頼むと
 「寒かったら暖房を強くすれば良いではないか」
と言うので、
 「そんなことをしたら、部屋が乾燥して喉が痛くなる」
と食い下がったら持って来てくれました。このヒト弱いヒトだと思ったのか3枚も…
 これでもう足りないものはありません。快適に眠って、長い長い一日が終わりました。

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