ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

訃報

 今週の月曜日、教室の夕方のレッスンが終わって一休みというとき、いつものようにメールチェックをしようとスマホのメールソフトを立ち上げました。

 そこに飛び込んで来たのは、長年お世話になってきた日本ユーラシア協会の竹田正直会長の訃報でした…

 にわかに信じられず、しばらくは頭が真っ白でした…

 

 東京から札幌に活動の中心を移した頃、それまで少しずつやってきたロシア語を本格的に勉強したいと思い、札幌でロシア語を習えるところを探していました。

 母の友人のつてで日本ユーラシア協会のロシア語講座が見つかり、もう一度基礎からしっかりやり直そうと、入門クラスに入れて頂きました。

 

 協会ではずっと以前からロシアや旧ソ連諸国の音楽家を招聘していました。ここで出会ったのが現在の師匠パーヴェル・ネルセシアン氏でした。

 パーヴェルを招聘するにあたって、竹田会長はモスクワ音楽院のパーヴェルのレッスン室を訪れてレッスンを見学し、そのレヴェルの高さに驚嘆したという話を聞いていました。

 その後、何度も協会の招聘でパーヴェルのコンサートが行われました。そのコンサートを聴いているうちに、私の中で「この人に習いたい」という気持ちが大きく膨らんできたのでした。

 2011年、パーヴェルにレッスンをお願いすると決めたときも、私は竹田会長からパーヴェルのメールアドレスを聞き、3日かかってメールを書きました。

 あれから12年、パーヴェルのレッスンを受けるようになって私の演奏は変わったと多くの方に言われました。竹田会長が最初の時モスクワに行っていなかったら、私はパーヴェルに出会うこともなかったでしょう。まさに私のピアノ人生に決定的な出会いを下さった大恩人だと思っています。

 2014年にパーヴェルと2台ピアノで共演したときも、パートナーをパーヴェルに頼みたいという気持ちを最初に打ち明けたのは竹田会長でした。

 

 今年の8月、札幌での私のリサイタルにパーヴェルが来ることが決まったとき、私は何とか竹田会長とパーヴェルの再会が実現できれば、と強く願っていました。でもこの頃竹田会長はすでに入院中で、メールを送っても返信はありませんでした。

 リサイタルが終わって打ち上げ会場に向かう途中、パーヴェルもとても心配していて、私にメールの返信があったかしきりに聞いてきました。

 2人の対面での再会が実現しなかったのは、本当に残念なことだったと思います。

 

 訃報を聞いて、パーヴェルにすぐ知らせました。返信からは深い悲しみが伝わってきました。

 

 今、日ロ関係がかつてないほど難しい局面を迎え、竹田会長は今後を憂いながら旅立たれたと思います。イスラエルハマスの紛争も急浮上し世界がより一層きな臭くなってくる中、一日も早く紛争が終わって平和が訪れることを願い続けるしかありません。