海外どころか国内での移動も不自由になって、家で旅行記や旅行ガイドの本を手に取ることが増えました。自分でいろいろなところに行ったことも折に触れて思い出します。楽しいことが多かったですが、今日は心底怖かったお話をしたいと思います。
10年前の2011年、私はベラルーシのミンスクで行われたフォーラムの中で演奏するため、フォーラムの一行より一日遅れて成田空港を飛び立ちました。JALでモスクワ、ドモジェドヴォ空港まで飛んで、その後ベラヴィア航空(ベラルーシのナショナルフラッグキャリア)のミンスク行きに乗り換えました。JALのモスクワ行きはビジネスクラスの特典航空券を利用、生まれて初めてのビジネスクラスにもうワクワクだったのを覚えています。
10時間ほどのフライトでドモジェドヴォ空港に到着し、そのまままずロシアに入国。このときの私のビザはロシアがダブルビザ(ミンスクからの帰りにもう一度ロシアに入国予定)、ベラルーシがシングルビザになっていました。
ドモジェドヴォからミンスクへ出発するときにはロシアからの出国審査はありませんでした。当時はロシアからベラルーシへのフライトは国内線扱いになっていたようなのです。初めての巨大なドモジェドヴォ空港で迷ってしまった私は、助けてくれた掃除のおばさんの言うとおりにロシアからの出国審査をしないまま、ミンスク行きの便にギリギリで滑りこみました。
ドモジェドヴォからミンスク第2空港(現、ミンスク国際空港)までは1時間15分ほどのフライトです。この日の朝10時45分(日本時間)に成田を飛び立ってから全く眠っていなかった私は早くホテルに着いて休みたいと思って、ベラルーシの入国審査の列に並びました。
しかし…
順番が来て自分のパスポートを係官に差し出したところ、少し待つように言われました。
え…どうして…ちゃんとビザがあるのに…
まごまごしていた私は係官にちょっと奥まったところに連れて行かれ、そこで待つように言われました。
係官は私のパスポートを持ってどこかに行ったきり戻って来ません…
待つこと20分…搭乗便の入国審査は終わってしまったらしく、ロビーはガランとなった模様…
だんだん怖くなってきた私…
しかし、パスポートを持って行かれてしまっているので、とにかく待つしかありません。
そのうちに今度はその係官と一緒に制服を着た人もやって来ました。
恐怖感MAX!!!
係官ともう一人の職員、そして制服組の3人は私のパスポートを見ながら延々と話をしているのです…もしかしてロシアで出国手続きをしなかったのがいけなかったの?だってそんな場所はなかったと思うのだけど…
更に待つこと20分…ようやく話がついたらしく、私のパスポートは戻って来ました。開いてみるとベラルーシの入国スタンプが押されていました…
いったいあれは何だったのだろう…
このときは空港からホテルまでのタクシーを予約していたのだけど、このタクシーの運転手さん、私が出てくるのが余りにも遅かったので、一旦帰りかけたのだそうです。最後にもう一回と思って戻って来たら、出口のところに私がいたのだそうです。
これで見つからなかったらもう帰ろうと思っていたんだ、
と言われて私は大泣き…
私のせいじゃない、入国審査のときに係官が私のパスポートを持って行って40分も返してくれなかったの…
ミンスク市内までの40分弱、私は泣きながら運転手さんに事の次第を訴え続けたのでした…
これも遠い昔の話になってしまいました…ミンスクも美しい街だったので、コロナ禍が収束したらぜひまた訪れてみたいと思っています。