2011年9月、ベラルーシのミンスクで行われたフォーラムの中で演奏したとき、チェルノブイリ原発の汚染地域、ゴメリからフォーラムに来ていた人がいました。
彼の名前はウラジーミル、演奏が終わったとき、「とても感動した」と言って、彼は私に小さな花束をプレゼントしてくれました。
ゴメリからミンスクまでとても苦労して来たということも聞いていました。
私はその花束をホテルに持ち帰り、部屋にあったグラスに生けました。
彼の名前はウラジーミル、演奏が終わったとき、「とても感動した」と言って、彼は私に小さな花束をプレゼントしてくれました。
ゴメリからミンスクまでとても苦労して来たということも聞いていました。
私はその花束をホテルに持ち帰り、部屋にあったグラスに生けました。
しかし、次の日には私はモスクワに向けて出発する予定でした。生花は持って行けません。このまま捨てられるのは忍びないと思い、出発時間が迫る中メモ用紙を破って、ロシア語でこう書きました。
「このお花は大切な人からプレゼントされました。しかし、私は今日モスクワに出発するので、このお花を持って行けません。このお花が誰かの家で生きることができますように」
あのお花がどうなったか今では知る由もありません。それでも私はミンスクでのことを思い出すたびに彼のことを思い出し、あのお花はどうなったのだろう、捨てられてしまったのだろうかと思いを巡らしていました。
元気なのだろうか…汚染地域にいると聞いていたので、体調を崩しているのかも知れない、と心配になったりしました。
6年半もたって再会のチャンスがめぐってくるなんて…
こんな奇跡的なことはめったにないと思い、教室の発表会前の超忙しい時期なのですが、会いに行くことにしました。
こんな奇跡的なことはめったにないと思い、教室の発表会前の超忙しい時期なのですが、会いに行くことにしました。
当日がとても楽しみです。