ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ラヴェルのコンチェルト2

 ようやく何とか形になってきました。
 左手だけの表現の世界の難しさを痛感しながらの3か月でした。怪我をする前はこの曲を勉強することになるとは全く思っていませんでした。いろいろなところで聴いていて、とても好きな曲でしたが、コンチェルトで他に弾きたいものはまだたくさんあったし(怪我をするまではプロコフィエフの2番のコンチェルトを少しずつさらっていました。再開する予定ですが、さすがにこれはまだ大変)、この曲が一番というわけではなかったのです。
 右手が動かせなかった3月に今弾けるもので弾きたいものはこれしかないと思って何となく始めたのですが、2年前からレッスンに通い、昨年の私のリサイタルで2台ピアノのパートナーをつとめてくれたパーヴェル(ネルセシアン)に「左手の曲を勉強しなさい。出口はそれしかない」と言われて、本気で取り組むようになりました。しかし、その後も順風満帆というわけにはいきませんでした。
 
 所詮、ピアニストとしての器が違う…彼の言うとおりになんかやったら、それこそ自分が壊れてしまうのではないか…
 
 4月、5月は手を怪我したショックからか体調を崩すことも多く、練習がうまく行かなくなると、そんな考えが頭をよぎったりもしました。
 だからと言ってもうやめようかと思うと、やはりどこかで別の自分がやめたくない、と言っていることに気づくのです。

 あと、もう少しだけ頑張ってみよう…

 暖かくなってきて怪我が少しずつ回復してくると体調も安定し、だんだんペースも上がってきました。同時に今まで気がつかなかったこの曲の魅力に気づき始めました。
 
 しかし、今までの自分の左手は何と不器用で、ないがしろにされていたのかと思うのです。昨年、リサイタルのためにレッスンや2台ピアノ合わせをやっていて、多分パーヴェルは私の左手の弱さに気づいていたのでしょう。
 左手だけで弾くときは当然親指で上のメロディーを弾くことになります。両手で弾いていれば右手がカバーしてくれますが、左手だけではごまかしがききません。
 何回か東京の先生のところにレッスンに通い、ようやく私には左手だけの世界の奥深さが見えてきました。同時に、両手で弾けるようになっても、私の左手は以前より雄弁にものを言うようになってきました。
 怪我をして得たものがこれで初めてあったかも知れません。しかし、何と辛く苦しい道のりだったことだろうと思います。

 今月末からはオーケストラパートを弾いて頂いて合わせます。実はコンチェルトは久しぶりなので、オケパートがなかなか覚えられないのです。

 両手で弾けるようになってもこの曲は自分の辛い時期を支えてくれた大切なレパートリーとして持っていたいと思っています。