ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

本番前日の練習

 発表会後の仕事も終わり、教室も新年度です。学校へ行っている人は一学年上がり、新たな生活を踏み出した生徒さんもいます。
 発表会については気づいたこと、反省すべきところなどを細かく書き記してありますが、その中で私が一番頭を悩ませるのは本番直前の練習をどのようにするかです。
 
 若い頃は体力があって直前でもガンガン練習していた私ですが、40代に入ってからはあまり直前に練習し過ぎると本番に疲れが残る気がして練習量をセーブしていましたし、生徒さんのレッスンでも直前にあまりたくさん言い過ぎない方が良いのではないかとずっと思っていました。
 これが正しいのかそうでないのかは人によって意見が分かれるだろうと思いますが、そんな考えが一気にひっくり返されたのが一昨年の札幌でのリサイタル「ロシアピアニズムとロシアバレエ3」の前でした。

 リサイタル後半の2台ピアノのパートナーをつとめてくれたのがパーヴェル・ネルセシアンでした。超多忙な彼が札幌に入ってきたのは本番の前々日の夜遅く、当然翌日(本番前日)に集中して合わせをすることになりました。
 本番前日となればあまり体力を使わないようにと思いどちらかというと守りの体勢になっていた私でしたが、合わせているうちにどんどんテンションが上がってしまい、ギリギリまでエネルギーを振り絞ってしまっていました。
 
 昼食でエネルギーを補充したあと、リサイタル前半の「四季」(チャイコフスキー)も弾いてみなさいと言われ、みてもらいました。実に厳しくひととおり注意し終わった後、彼は厳然とこう言いました。

 今言ったことを明日までにできるようにさらっておきなさい…

 この時点ですでに練習は4時間近くなっていました。前日にこんなに練習することになるとは思わず私はもうヘロヘロ…それなのにまだ練習しろとは…
 
 彼にとっては当然のことなのだろう…モスクワ音楽院ではこれだけの注意を一晩でこなして翌日にっこり笑って舞台に立つのが当たり前なのだろう…
 私は背筋が寒くなりました…このとき初めて大変な人をパートナーに選んでしまったと思ったのを覚えています。(それまでは合わせていても彼の音楽に乗って行くことが幸せでそんなことは考えてもみませんでした)

 呆然としながらも彼を駅まで送り届けた後、家に戻った私は、あのときやっておけばよかったと後悔するのは嫌だと思い、先ほど言われたことを直そうと練習を始めました。
 この日のトータルの練習時間は6時間以上…リサイタル前日にこんなにさらったのは初めてでした。当然疲れたのを通り越してしまい、その夜は惨い夢を見ました。
 翌朝、「これは縁起が悪い」と思って目覚めたのですが、当日リハで彼と顔を合わせたらカンカンにテンションが上がってしまい、そのまま「気合いだーっ」という感じで本番が終わったような気がします。
 本番終了後はもう疲れたなどというものではなかったのですが、演奏の細かい部分を少しでも良くするために最後まで諦めてはいけないということを学んだような気がします。あのとき彼は私はもっとできると思っていたのでしょう。
 この話をやはりロシアで勉強した声楽の人にすると「私も同じことを言われました」という答えが返ってきました。「ロシアで劇場に勤めたら、一日数時間のリハーサルの上に夜は本番、それに耐えられる喉が作れなくてどうするの」と言われたそうです。
 
 最後まで全力で最善を尽くす、というロシアの先生の方針は同じのようです。このことはその後の私の本番直前の過ごし方を大きく変えました。しかし、この先年齢と共に直前の練習方法はまた変えざるをえなくなるのかも知れません。
 また、この方法をすべての生徒さんに当てはめることはできませんので、生徒さんのレッスンときにはその人の状態をよく見て、練習方法を決めていくことが必要だと思っています。