ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

ドミートリー・マスレーエフ

 毎年札幌で開かれているPMF(パシフィック ミュージック フェスティバル)の札幌での最後のコンサートになる「ピクニックコンサート」に行って来ました。良いお天気で暑すぎず、絶好のピクニック日和です。
 世界中からオーディションで選ばれた奏者によるPMFオーケストラを世界的指揮者、ワレリー・ ゲルギエフが指揮。ゲルギエフは大好きなので、それだけでも楽しみだったのですが、もう一つの楽しみは先日のチャイコフスキーコンクールの覇者、ドミートリー・ マスレーエフが登場することでした。(曲はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番)

 チャイコフスキーコンクールのとき、マスレーエフは通し番号が一番最後だったので、いつもライブが日本時間の朝方になり、全く聴けなかったので、終わってからすべての演奏をアーカイブで聴きました。
 ロシアからのすべての出場者が持つ強靭なテクニックに加え、柔軟さとしなやかさを合わせ持ち、どの曲も大変魅力的に仕上がっていたので、彼がラフマニノフをどのように弾くかとても興味がありました。
 大柄なゲルギエフと一緒に舞台に登場すると、その細さ、小ささがひときわ目立ってしまうのですが、演奏は力強く、スケールが大きく、これぞロシアのピアニストという感じでした。
 また、生の彼の演奏を初めて聴いて強く感じたことは、演奏や立ち居振る舞いに独特の気品があったことでした。

 先日のチャイコフスキーコンクールは空前のレヴェルの高さだったと報じられていました。既に名の通った人が予備予選で落選したりする中で、あのファイナルに残った6人は皆素晴らしく、どのように順位を決めるのかと思ったものです。
 その中で彼の1位を決定づけたものはあの気品だったのではないかと私には思えました。

 コンクール期間中に母親を亡くしたことも報じられていました。それこそお葬式を出さなければならない慌しさの中での演奏だったでしょう。それがどんなに過酷だったかは想像もつきません。
  7月1日の表彰式で1位の名前が呼ばれた瞬間、片手で一瞬顔を覆っていました。
 「ママが生きていてくれたら…」
 あのとき彼はそう思ったことと思います。(多分彼のママは私と同世代)
 僅かな差で晴れ姿を見せられなかったママのためにも、世界中の聴衆のためにも、この先末長く弾き続けて欲しいと心から願っています。