ピアノのある部屋から

ピアニスト、中添由美子がピアノのこと、教室のレッスンのこと、ロシアのこと、その他日々のいろいろを書き綴ります。

アクシデント

 災いはどうも忘れた頃にやってくるようです…

 今月3日の昼過ぎ、実家で練習中に譜面台に右手甲を強打してしまいました。確かに痛かったけど、本番が続いていたし、大したことはないと思って練習を続けていました。

 事の重大さに気づいたのは賛助出演した6日の「松井亜樹ソプラノリサイタル」の本番舞台の上でした。
 舞台に出て行き、事前の打ち合わせどおりピアノのベンチイス(背もたれのないイス)を高くしようとしたら…
 右手に力が入らなかった…
 衝撃が身体中を突き抜けました。しかしここは本番舞台の上…結局イスを高くすることができず、そのまま息も絶え絶えで何とか弾き終えました。
 この日初めてコンサートを聴きに来てくれていた整形外科医の父に手が痛いことを打ち明けました。
 父は昨年末、84才目前で現役生活に終止符を打ったばかりでしたが、私の「手が痛い」の一言でたちまち仕事をしていた頃の目に戻りました。
 
 翌7日、父に付き添われて実家近くの整形外科でレントゲン検査を受けました。
 整形外科の待合室はお年寄りばかり…あとは年老いた親に付き添って来る私と同じ年代の人達…しかしここに来るときはいつでも私が患者…前回来たときは3年前、椎間板ヘルニアの激痛に耐えながら父に手を引いてもらって来ました。(親がまだ元気でいてくれることには感謝しなければならないのですが…)
 レントゲン検査の結果、骨折はなしということでひとまずホッとしましたが、強度の打撲による骨挫傷(骨折の一歩前の段階)と靭帯の損傷と診断されました。
 「まあ明日(8日のアレンスキー協会例会)はこれを飲んで気合いで弾くしかないですね」と言われて痛み止めををもらいましたが、その後はできるだけ動かさないようにと言われました。

 この日の練習は休み、翌8日、調整不足だったけど何とか弾き終えました。本番中は緊張していたため痛みは感じませんでしたが、終わった後の痛みは耐え難く、終了後また実家へ…
 分厚い包帯でグルグル巻きにされ、水曜日までの練習禁止を言い渡されました。
 
 15日の教室の発表会ではラヴェルの「クープランの墓」、4月4日の国立市のコンサートはラフマニノフの「2台のピアノのための組曲第1番」を弾くことになっていました。
 ラヴェルの方は最後の「トッカータ」は無理なのでカットし、プログラムを縮小することに、ラフマニノフはとても無理なので、急きょ曲目を変更して乗り切ることになりました。

 練習禁止を言い渡された私はホッと気が抜けて眠ってばかりいました。
 何かこの怪我は起こるべくして起こった気がしています。
 今年が始まってからずっと緊張が続いていました。この2年間レッスンを受け続け、昨年の私のリサイタルでは2台ピアノのパートナーもつとめてくれたパーヴェル(ネルセシアン)とのことも大きく影響していたと思います。共演してから彼が私に求めるものは更に厳しくなりました。私は彼が非常に厳しくみてくれることを嬉しく思って、要求されるあらゆることをできるだけ完璧にやろうと思って必死でついて行っていましたが、知らず知らずのうちに限界を超えてしまったのかも知れません。また彼のまわりの日本人との関係もやはり一筋縄ではいかないものがあります。
 パーヴェルのレッスンは受け続けたいと思ってはいますが、少し休養が必要なようです。

 今日、練習禁止令が解けたのでほんの少し右手を動かしてみました。まだ恐怖感ばかりが先に立ってしまうのですが、何とか今週末の発表会に向けて少しずつ調整していきます。